I'll just do it

障害者を差別しこうあるべきで無駄と考えた事件は戦っても協力できないよ

救いたい人を助けるためには強さが必要だが、強さは負の力を借りないと届かないため強さを求めなくなったのは、諦めだから巨悪になる
 
 
 

ある人からの言葉でこの事件に対して痛烈に考えさせられることになった

 
軍事や武器を持たない反戦争の日本でナイフで残忍な殺傷事件を起こした出来事
 
 
きっかけになった言葉は亡くなった親御さんとか安心 しているんじゃないのか?の発言
 
 
つまり障害をもった人の面倒を見なくていいという意見に捉えた
 
 
障害つまり五体満足に動けなくてどこかに不備がある人のことを指すが世間では弱者とも言う
 
 
プーチンさんは無防備な障害者を狙った 犯罪の残忍さに動揺していると言っている
 
哀悼の意

tass.ru

 

事件の凄惨さ

www.huffingtonpost.jp

 

ケリー国務長官は、「(事件は)一種のテロだ」

www.jiji.com

 
容疑者は無駄と考える人を殺めて無駄な行動をなくして改善したいという超効率主義の考えを想像
 
 
ここからは危険発言になるけど無駄なことを省くっていうのはこの場合で言うと容疑者の暗殺もしくは社会的弱者を排除
 
 
断捨離することが早いからって捨てる(殺す)のは方向性がずれてるんじゃない?
 
 
未来から見れば今起こってる事件の改善も無駄と言えるのか?
 
 
目の前の出来事と日本の常識を超えている事件を根本的に向き合って改善したい
 
 
というのは自分の祖母は介護施設にいるから状況が類似しているため考えさせられてしまったんだ
 
 
もちろん平和ボケした日本で障害者や介護施設で思い込んだ人間から警備しろと言うのハードルの高い行動で求めていない
 
 
これからは障害者や弱者といった人種差別的発言はやめる
 
自分も弱者だからだ
 
生まれた国 肌の色  性別 信条に関係なく誰に対しても公平でなくてはならない

あえて差別的発言はLGBD 引きこもりホームレスなど差別的発言は様々だ


褒め言葉として使っているのは引きこもりとホームレス

 
無駄な通勤時間を移動することなく生産するのが最強の生産効率と考えて引きこもりと言っているが本当に悩んでいる人にとっては強烈に辛い言葉になります
 
 
小学校の時にいじめられた経験があるから理解しています
 
経験していない行動は理解できないから
 
 
なぜこうやって差別発言を考えるのは人は協力しないと生きていけない
 
昔の流れをなぞって、壊してはいけない存在の何々はこうあるべきだという常識の固定概念に縛られる風潮が強い国は、様々な思考の人がいても大半が固定概念を定着してしまっているから、 他の意見や考えや風潮を肯定的に捉えて行動できなくなっている

今回のケースで言うとヒトラーをなぞって神の声が降りてきたとあるが大半の人は理解できないだろう

www.huffingtonpost.jp


でもこの理解できないような思考回路も未来になったら社会に適応して理解できるかもしれない?

社会がこの思考回路を求めて生き延びるための生存戦略に適応するとは全く考えにくいが一つの可能性として
 
 
障害者はこうあるべきの固定概念のまま突っ走って起きた想像の範疇を超える事件だが 、世間から見たくだらないことに思い込む熱意が人を動かすけどそれは感情だね
 
 
つまり思い込んだ感情に走ったと考えている論理じゃなくて
 
 
Eu離脱 であったり舛添さんであったり感情に走ると固定概念の思い込みのまま他の意見を受け入れられなくなり感情で突っ走ってしまう
 
 
これを救いたいと言わずあえて改善したいというのはエゴかな?

多分容疑者は障害者を無駄だから捨ててしまえばいいと考えて捨てたと想像

 
これでは思い込みよる固定概念以外の存在は全て捨ててしまえばいいとなってしまう

断捨離 ミニマリストとはまた違う

 
技術が発達して日本の平均年齢も上がった

そういう意味ではもっともっと長生きする可能性の方が高い

 
逆に言うと医療技術が進んで障害者と言われる人たちの弱点を克服する医療が出てくるかもしれない
 
 
技術が進まない可能性より進む可能性の方が圧倒的に高い
 
つまりデメリットよりメリットの方がでかいんだから期待しない理由はない
 
 
技術が進めば社会の生存戦略が進んで前に言った社会弱者でも十分に適応して生活できる環境になっている
 
実際はでもではなく弱者が生き延びる環境をみんなで改善した結果です
 
 
これは無駄なことをしていると考える全く逆の行動で、全ての人がどれだけ快適に生活していけるかを思考錯誤し改善していった人生の先駆者と技術の開発による改善行動と考えませんか?
 
 
つまり障害者と言われる人たちをいかに改善して社会に適応した楽しい生活を送れるように改善した結果なのでは?

逆に言うとテロリストや残忍な犯罪者も改善の対象になる

 
危害を与えるから自分たちと考えが違うから何を言っても理解してもらえないから放置するのではなく、固定概念を捨てて犯罪者やテロリストはこうあるべきの認識を捨てて1つの改善対策として向かっていかなければいけない
 
 
弱者障害者という意味ではテロリスト犯罪者は社会に適応できていないから、ある意味弱者であり障害者である
 
 
協働して生き延びていくために弱者障害者のいない世界ってどうなります?
 
 
自分は強者だと思っていなくて弱者だ
 
 
ひどい言い方をするとビッグデータに匹敵する情報のサンプルのために、常識的な人間の情報だけより非社会的な思考回路の情報や、ウィークポイントじゃなくてマイナスを想像させる障害者のデーターだってある意味将来有効になる

こうあるべきと考えていない自分は、特に会社を辞める時期から全てを受け入れるになった


男が男を愛していけないなんて言う理屈はないし、 女が女を愛していけないという理屈もない

 
40歳までに結婚しないと女は価値がない(この言葉聞いた時はビックリした)とか固定概念もなく子供を産まない選択肢だって離婚や夫婦公認で不倫やセックスを受け入れるカップルも実際にいる

自分の例で言えばニューハーフにやられたこと

 
例える男にレイプされた事だからね

実際にやられてその心境がよくわかった

 
気持ちいいと抵抗できない状態
 
 
全ての多種多様な様々な世界を受け入れろとは言ってない

他社貢献して報いるためには求めるハードルを下げるだけ

 
つまり様々な世界に対して期待値がないということ
 
 
一見、相手に期待していない罪な行為に映るが、逆に何も求めていないからそのままでいいということになる
 
Let it be

変化の成長を拒んだ要求だがありのままでいてほしい

 

実際にはそのままではなく変化し改善しているのに気付けるか?だけ

 
介護施設のばばあは毎日楽しければそれでいいし、毎日少しでも改善してなんとかよくしたい
 
おれもばばあからパワーと知恵をもらっている
 
 
弱者障害者とよばれる人だって改善していると人間の世界として未来に役に立つ

戦わなく協力しているから

 

戦わないと勝手に協力している行為になる

 
目の前に起こる様々な常識の想像を超えた出来事を決めつけ思い込みのままにこうあるべきとして改善せずにしてる行動が無駄なのか、目の前の出来事を全て受け入れてこうあるべきと考えずに様々な変化を楽しんで改善していく方法が先読みして無駄だと言えるだろうか?
 
 
障害者弱者を助けるための医療技術や社会としての改善方法を現代まで放置していたら今の世界はない
 
 
エゴかもしれないが助けたい人は助けたいし守りたい人を守りたい

昔は強さに憧れた

 
最初は魅力的なケンカの強さや格闘技の技術を求めていたが、そんなものはちっぽけなものだと経験して背負っているものがでかいやつ
 
悲しいことや辛いことを痛烈に経験してる奴の方が圧倒的に強いと感じた
 
 
毎日へらへら楽しく生きているやつは痛烈な経験をしている
 
 
強くなるために 負の力を経験することがたまらなく嫌になって強さを求めるのをやめた

最愛の人の死とか圧倒的に酷いことをされたの、マイナス要素の高い行動でしか強くならないと考えていた

 
銀と金で森田と銀さんが別れたのは正義はないと銀さんが言う
 

 

 

森田は救いたい相手が弱者で取り囲んで搾り取ろうとする悪から助けたい

 
 
正義なんてないから弱者を相手から救いたければそれ以上の凶悪になればいい
 
 
 
銀さんが森田を口説いた
 
 
森田は悪に取り込まれるのはもう嫌だと裏の世界から足を洗った
 
 
当時の心境と結構類似していたので

人間は同族を破壊しないほうが根本的に効率的と考えて生きてきたはずだが、このように障害施設に勤務して目の当たりの状況に触れた人でも残虐な事件が起こる


つまり現場を知れば理解出来ると言う言葉は幻想に変わる


だけど人によっては現場を知って改善できることもある

 
実際自分が介護施設に触れて改善する側に回った
 
 
もちろん介護施設と障害施設はどれだけ違うのかも触れていないから分からない
 
障害者や要介護が身内という存在も大きい
 
 
だが根本的には全員が弱者であって様々なウィークポイントを抱えている
 
 
具体的に自分1人で自立して日常生活が行えるかになるが、その根本的 固定概念を捨てて日常生活が1人で行えなくても快適な生活ができる
 
 
一般的常識の日常生活を送れる人だって1人で生きてくことはできない

水を調達しないといけないし食材も必要だ空気も吸わなくていけない


睡眠する場所が必要だ

 
最低限の空気と水と食料と睡眠を全部 1人で作るれかはNoだ
 
 
人間は1人で行くことはできずに全員弱者であって、間接的に協力してないと 生存していることができない
 
 
全員が弱者であるということを素直に認めて協働して、捨てるのではなく弱者と弱者が助け合って生きていく方が人間界としては効率がいいんじゃないの?という超効率主義の結論
 
 
どれだけ辛い出来事や苦しい経験でも感情に走って判断するとろくなことはないから、障害者や犯罪者はこうあるべきと考えずにこの事件に対して素直に向き合った
 
 
人と違うことは間違いじゃないし他人と同じことは正解じゃない
 
 
無駄なコストではなく新しく変化できる投資だから改善していく
 
その環境に立たされて必要になると考えていくのが人間
 
戦っては協力できないからね
 
決して自分の考えは常識ではないからスタート
 
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