生まれ育ち
昭和52年10月6日に生まれて最初に発した言葉が「じいじょ」だそうだ
じいじょはじいちゃんっが言いえなくてじいじょになったらしい
じいちゃんはもういないけど、学歴と働く社会からドロップアウトした自分を最後まで支えてくれた
株と酒が好きで昔ボクシングもやっていたらしい
頑固で意地っ張りな性格をじいじょから今もそのまま引き継いでいる
幼稚園
幼稚園は最初から行かなかった
母親が幼稚園の先生という影響がないわけではないが、単に大工が好きで犬用の小さい小屋を作っていた
犬は本当の生き物ではなくて、プラスチックでガラガラから引く子供のおもちゃの犬だ
なんで最初から幼稚園にいかなかったのは自分の記憶が理解できていないが、みんなと同じ行動するのを多分拒絶していたんだろう
家でノコギリで木材加工して遊んでいただけだけどね
なんで幼稚園に行こうしたのかは不明だけど、家族以外の人間との触れ合いが少なくて寂しかったんじゃないんかな?
社交的と引きこもり性を兼ね備えていて適当にしゃべるんだけど、すぐ飽きて他のことに没頭する瞬間がある
今もそれは変わっていない
幼稚園ではお遊戯会のステッキをぶっ壊して嘘ついて逃げたり、遊園器具でアゴから突っ込んでアゴを二針縫ったり、パンツめくって怒られた
幼稚園の経営者は母親と同僚でよくお泊まりに行きました
幼稚園は宗教法人の一環として成り立っていて、その頃は全く理解せずに大御堂の中を走り回っていました
たぶん最初にお泊まりした子が初恋じゃいかな?
自分が人を好きになるって、ちょっと気になる程度のレベルですぐ好きになるから、知り合った女はたいがい惚れていますね
ネガティブ経験がないからどんどん好きになれたんだろうね好奇心を持って
小さい頃のおませな男の特徴として好きな先生にわざとイタズラってみんなやりましたよね?
典型的なわんぱくっ子でした
小学校
俗に言う勉強のできる子だったらしい
単に周りが勉強していなくて自分が勉強しているいたからだけどね
親から習字を習わされたりそろばん塾に通ったり勉強は強制されていた部分があった
それが嫌で3年ぐらいに勉強を拒否するようになった
自分の考え抜きに規制されるのは嫌なんだろう
それから一切勉強しなくなるが過去の副産物で中学までは成績が落ちることはなかった
と同時に学校教育のやらされ感が嫌になりずーっと遊んでばっかりだった
放課後は家に帰らずにドッチボールしたり、夜には学校のプールに侵入したり、夜間に学校へ忍び込んだら警備員に追いかけられたりと思い出せないくら色々あった
楽しかったのは事実で毎日が夏休み
中学校
だんだん世間から見て悪い子になっていくが自分としては悪いという実感が全くない
同窓会でかなりドン引きされるのは剛が敬語使ってるって言われる
小学校から柔道が好きで相当ハマっていた
家で柱にチューブ付けて練習してました
女子部員が多かったから柔道に入ったわけじゃないよ
柔道から離れて行ったのは、試合で剥離骨折をして部活に参加しなくなったのがきっかけかもしれない
練習できないのに柔道場で座って見学しているのは、時間の無駄だって先生たちに散々言ってたんだ
結果は違うけどスラムダンクの三井みたい
密かにカッコつけているわけではないが、柔道の道へ戻りませんでした
部活と学校サボってゲームセンター入り浸りにハマっていました
と同時にコインゲームで悪さして増やす方法を見つけてしまったり
コインゲームはいくら増やしてもお金にならないから、お金になるコインゲームをやろうということで、パチンコや競馬に手を出すようになりました
この時から働いて稼ぐ以外で、お金を生み出す方法を真剣に求めていた
自分が会社員気質じゃなかったんだろうね
バイトは友達の誘いで現地で遊ぶためにやった程度で、真剣にお金を欲しいためにバイトしたことは1度もありません
高校退学
最初は工業高校へ行って物作り覚えたかったんだけど、学力が低下していたので希望の高校へは行けませんでした
同級生がいなくて遠い高校は面白いかなって適当に選んだら、意外にも同級生が6人もいたがそれでよかったかな
1年の頃は気の合う仲間がいて、ある程度真面目に高校へ行っていましたが、悪い奴はすぐ辞めていき自分もだんだんと学校に行かなくなりなり、パチンコに明け暮れていました
と同時にバイクも散々乗ってましたね
バイクを乗りまわした結果、無免許運転を2回やって家庭裁判所に行くことになりました
といっても収監されるわけじゃなく、どっかの公共施設へ義務的に顔出すだけだけどね
中学高校時代が法律を犯した瞬間が幾度となくありました
年齢詐称してバイクを購入したり、直接は奪っていないが単車乗ってるやつから殴って没収したりこれ以上は書けません
柔道やっていたこともあって殴り合ったら負けるが、つかまえたら勝てる自信が溢れていた記憶が
実際に喧嘩は腕力や格闘技のだけでなく、単に相手にビビるか怯まないかだけ
どんだけボコボコにされても自分が負けてないと思えば負けていない
今の非難中傷して人を叩く悲しいシステムと類似しているね
大人のネットいじめ、どう対処するべきか https://t.co/asNeC5ixN1 「マキャベリズム=権謀術数」、「ナルシシズム=自己陶酔」、「サイコパシー=精神病質」。ネット上でいじめをする人には、3つの特徴が見られる pic.twitter.com/NX0ylu0exo
— ウォール・ストリート・ジャーナル日本版 (@WSJJapan) May 18, 2016
本当の強さは人と対面した時に雰囲気や直感でヤバさや匂いがわかる
柔道も一緒で組んだら手強さが一発で察知できる
バンコクのほにゃらら通りの出来事
片言の日本語でお◯◯こと喋りかけてきた人に、日本語うまいねーって言ったら目がキリッとなったのを見逃さず、にオーソーリーごめんなさいねーと言ってその場を立ち去った
直感的にヤバさを感じました
酔っ払ってファランにボコボコにされメガネの鼻がなくなった僕が言うんだから間違いない
こんな生活をしているからフルボッコにされたのも数回ある
バイクが好きでキャブレーターのセッティングテストのため朝方4時頃に走り回っていたら、待ち伏せされており警察に警棒でフルスイングされた
顔面の腫れが1週間しかなかったの言うまでもない
真冬なのでメチャクチャ痛かったのよ
レーシングマフラー装着していたから音の規制に引っかかっているのは知っていたけど
顔面半分腫れたままパチンコはかかさずに行ってましたね
高校を辞めるきっかけとなった言葉は、この場所には生きる意味がないって言ってやめた
当時は生き方にかなり悩んでいて、生きることに意味を求めていて死ぬことに答えがあると考えていた
悩みは行動していない証拠だからって当時の自分に伝えたいね
今なってばかばかしい悩み
イエスかノーで言えば高校をやめてイエスでした
やはり時間から時間を束縛されて学びがない無駄な日々を送っているのは、単に時間を浪費しているだけ
勉強なんかやる気ならどこでもできるし、もっと教えの上手い先生もインターネットによって探せる
人とのつながりだって学校というグループに入らなくても、インターネットからリアルにつながれる
行動しているんだけど悩んでいるジレンマ状態と今の僕からの一言
パチプー
生きる意味がない高校を3年の春に辞めてから、就職もせずにパチプロ生活に入りました
会社辞めてブログ書いている事と、大差はありません
就職しなくていい理由は、パチンコで初任給以上を月に10日程度で稼げたからです
パチンコ屋へ出勤も毎日することなく、新しいゲームをパチンコの景品で交換したら、ゲームしたいために2〜3日パチンコへ行かない日が多かったですも
夜はほとんど家に寄り付くことなく誰かの家へ泊まりに行ったり、バイクで遊びに行ったり、フラフラしていました
会社辞めて毎日遊んでいる今の自分と一緒ですけど
昼間はパチンコ行くかゲームするか、稼げる店と台を調べるためバイクで走る毎日
行き当たりばったりにブラブラするのがほんと大好きで適当に遊んでました
古クッサイ旧車を探しに他県まで見に行ったり好き勝手に生きていましたけど、パチンコは生涯の仕事にならないのを痛感していました
金のために毎日の時間を消費していて、パチンコ自体が全く好きじゃなかったから
当時から求めていたのはやはり職業
職業はやりがいのある仕事と考えていて=夢中になれる仕事
当時の自分に伝えたあげたい
やりたくないことなら速攻でやめて飽き性のままでいいか、色々なことに手を出して行動すれば、そのうち何か見つかるよって言いたいね
やりたくないことを我慢するのが仕事で、夢中で遊んでいる状態を職業と呼ぶ
結論は出ていますね
パチンコをやめた理由は単純にやりたくないからです
それに資産と収入の限界も見えていました
と同時に考えるギャンブル=競馬の方が面白くなっていただけ
競馬
中学校からやっていたから約20年ぐらいやっていたことになる
この後に書く佐川急便を辞めてから派遣会社に入るまでの間に、2年ぐらい競馬だけで生活していました
競馬生活って言っても、土日に行った全レースを繰り返して観ることだね
観ると書いたのはレースを観察です
ブログや英語学習に例えると結局は繰り返すしかないので、繰り返していく過程で自分が気づいたことが学びになる
そこで改善提案を考えてまた試してやってみる
馬券もそのループの繰り返し
馬券で何が必勝法かって言えば、やっぱりレースを観ることを伝えたい
観察です
これは在宅競馬派だったんで、パドックを見て判断する人ではないので完全にレース依存思考でした
パドック情報はインターネット普及に伴って、配信してくれるプラットホームが生まれたため外注という形で課金していました
もちろん課金制の有料ですが情報費用なんて月に1万にも満たないから、お金の問題は全ツッパしていろんなサイトのサービスを利用していました
今で言うとnote買ったりキンドルで本読んだりとそういった類と一緒ですね
基本的にお金で解決するならお金で悩むより、情報を知って考えたほうが早い
買うか買わないかの判断は悩みでしかないから、お金に躊躇しなくなると悩まなくなる
そう考えると当時から自分のやり方は変わってない
競馬をやめた理由はやはりインターネットの普及によって、自分の予想が世間のオッズに勝てなくなったから
突っ込めるレースが少なくなると収入も比例して少なくなる
利益を生み出す回数が低下するため儲けも低下する
最大に感じたのが自分がプラットホームになった方が早いということだ
例で言えば主にヤフオクで転売していたからYahoo!になる
競馬で言えばJRDBや木下健にhideのように情報発信サイトを作る
予想で馬券にするのではなく、予想の過程と競馬データーと自分のノウハウを提供する
馬券で勝負すれば当然資金もいるし、マイナスになる瞬間がある
とにかく何でもいいからファンをつけて自分がプラットホームになれば、提供する商品は自分が創造したものだけから、資産価値は不透明だがマイナスになることはない
競馬のデーターや予想の過程だって結局は創造作品
当時の最先端を最近見たが、今も健在でやっていることが嬉しかった
競馬はお金のためでなく研究でやっていた部分が大きい
いかにどうやって数字をたたき出すか?が面白かったんだろうね
パチンコにはない考える面白さがあったから競馬は続けてこられた理由だし
最後に馬券の最大の必勝法は馬券を買わないこと
全く買わないのではなく自信のあるレースしか買わない
それができれば簡単に勝てます
イタズラに買うから逆に負けるという
研究量は多くても馬券購入頻度は少なくないといけない
インターネットの普及により馬券を多く参戦する行為は通用しません
ただし繰り返した研究量はあなたの馬券を裏切らない
佐川急便
うろ覚えなんだけどたぶんパチンコやめてからだと思う
働くってことは資金が凍結した考えるから気軽にバイトを始めたんだろう
選んだ理由は単純に給料が良くて、時間の都合がつく仕事を選んだんだ
意外に面白かったけどね
喧嘩した先輩がやめた後に、社員として戻ってこいて電話いただいたけど断わりました
お金のために働いていないから辞めるにはやめるなりの理由がある
辞めた理由は佐川急便の下請けがどっかの会社に買収か乗っ取られるかして会社名が変わることになったが、他の人たちは給料が下がる理由で辞めた
だが自分を含んだ数名は給料そのままで仕事を続けてほしいって確か?個別に呼ばれた覚えがある
人件費削減狙いで会社を買収したと思うんだけど?
それがきっかけなのは言うまでもないが、辞めてからは競馬生活にどっぷりつかりなかった
佐川時代は土日は何が何でも仕事しないようにして競馬に集中したかった
1日7時間をお金のために働いて、競馬のレース確認にリソースをぶっこみなかった自分にエールを送った
ちょうどいい機会なんで会社が潰れる理由でやめることにしたんだ
もちろん急便にいたから存分な蓄えができたのは言うまでもない
実家に数百万単位で貸せるようになった
結果的には貸すのではなく右から左へ通帳講座を変えて送金しているだけだね
ということで佐川急便時代には馬券で金が回らなくなり現金を支払えない人とも知り合った
その人は勝俣でかっちゃんと読んでいた
年上で寿司職人で酒飲み
馬券好きで酒飲み意気投合して頼まれた馬券は全部飲んでいた
当時はインターネットで馬券を買うことが盛んではなくて、馬券を頼めるだけちょっとしたプラットフォームになれた
最後は頼んだ馬券の金が払えなくなりある喫茶店へ呼び出された
嫁にばれて金が借りれんから一緒に来て金借りて馬券で返済する
そんな内容だったと記憶してる
競馬が好きだが支払いが怠るに連れて夜逃げする体裁は感じていた
馬券仲介人は直感的にビジネスになると感じていたから、頼まれた馬券は代理購入せず全ツッパで飲んでいる
インターネットノミ屋だね
ギャンブルの必勝は胴元になることだ
競馬ジャンキーは馬券を頼める人に頼る
馬券を頼まれ自分がゴクッと馬券=賭け金を飲み干すことによって、間接的に僕がJRAになれる
お金の増やし方はいろいろある
カブ乗ったかっちゃんに会いたい
さねもっちゃんにおくちゃん藤原さんはどの職場で手強い苗字
嘉悦さんが仕事戻れの電話の人
まっちゃんにポカちゃんに山下君もいた
ヒゲのビール飲み運転手や服部だからチョリ君って呼ぶ千葉のヤクザみたいな人もいた
みんな元気にしていたら嬉しい
関わった人の日常がブログになることを心から願う
毛利君もいたしハーフの人に字が汚いって罵倒もされた
凄腕幹部と麻雀した時にフルボッコされた
自宅が雀荘という恐ろしい環境
バイクで麻雀しに行って焼きそば食ってポケットマネーをふんだくられました
コンパして失敗したりガチに走りに行ったりスープラのターボ車乗ったり
思い出せないくらい楽しかったです
でも馬券のためにやめた自分にthank youをいいたい
だって競馬研究と馬券追求のためにやめたんだもん
派遣
これも佐川と一緒で資金が凍結したんだね
どっぷりとした馬券生活を2年送って、最後は生活資金するままならなくなったから、両親が僕から借りた金を少しずつ返済しなざればない状況に至った事実
どういうきっかけで求人したのかは覚えていないけど、応募理由は時間と時給がいいところを選んだ
もちろん馬券研究を続けたかったのは言うまでもない
競馬のために働く時間を少なくしたかった
と同時に初めて一人暮らしを経験した
理由はスピード違反で一発免停になって車通勤ができない時期が訪れた
未成年の自分なら無免許で通勤するよって家族に喋ったけど、悪用に積み重ねはやめて会社の寮に入ることにした
寮といっても派遣会社が不動産も行っており、アパートやマンションはその一部を利用しました
一人暮らしはほんとに楽しい
洗濯も食事も掃除も自分で行っていたから全く問題にならなかった
むしろ家にいる時は親がきめ人(几帳面な人)なので自分が洗濯や掃除をやると嫌がるから手を出さなかったんだ
名古屋市熱田区で一人暮らしすると同じ会社の連中もいて、毎日飲み歩きか遊び歩き、働けば普通に資金を増えていくからお金に困ることはなかった
というよりこの当時から家に数百万以上を貸してしていたから俺は働かなくてもいい状態だったんだけどね
派遣会社が最後の仕事となる前職の下請けみたいなとこでした
簡単に言うと産業廃棄物の一種である木材を処分料をいただいて破砕処分して、処分した木材をピンチップや燃料チップに生産加工する
仕事内容なんか何も考えずに給料だけで応募したから、実際に自分がこんな仕事をすると思っていなかった
重機やリフトに乗るようになり、酸素や溶接も覚えて電気の資格なんかも取るようになった
4年くらい派遣会社にいたと思うんだけど、正社員にしていただくという話をもらった
理由は車で通勤しているし、それ以上に若手の人材が不足していたからだ
なかなかホコリや破砕音のある環境だから続いていく人が少ない
仕事が意外に面白くなって素直に正社員して頂ことにした
転売
転売はほぼ9割をヤフオクを使用して15年ぐらい行った
今でも買い換えた物はヤフオクを利用している
評価も数千あって取引回数は万単位以上を行った
ヤフーアカウントも両手で足りないくらいに保有している
転売に関してはがっちりと書きたいから、別のところで書く
ヤフオク販売の物販が一番新規参入しやすいと考えるね
ヤフオク転売の最大の必勝法は空の商品でもいいから売ってみること
つまりリアル商品がなくてもとりあえず出品すれば市場リサーチができる
何回も出品を繰り返すことによって、だいたいこれぐらいの値段で売れるだろうなーっていうカンが自分の中に生まれるんだ
今だとアプリを利用したメルカリは有力だろうね
成功する理由ってやっぱりたった1つで、とりあえず試してみるただそんだけなんだよ
転売に関しては会社を辞める1年前ぐらいにやめました
理由は英語にリソースをぶっこみたかったから
それとお金儲けだけのために、利益率の高い商品を右から左へ流す時間と行為が嫌になったんだ
退職後を見据えたわけではないけど、収入を減らす意味いいタイミングになった
転売を行うと商品を見て利益率で考えてしまう、癖がつくことは間違いない
正社員
正社員になって役職といった出世欲もでてきた時期もあったが、今から考えるとこの10年間の時間がもったいなかったと
とっとと辞めて自分のやりたいことをやるべきだ
とは言っても派遣の延長から正社員になっただけだから、仕事内容が変わることはなく相変わらず競馬に没頭していた
馬券の利益性が薄くプラットホームになったほうが資本を増やせるとも感じていて、何か別の手段を模索していた時期でもある
仕事辞めるという意識を持ったのは海外へ目が向いた時だ
インターネットでいろんな国の景色や風景に食事文化が垣間見れるようになり、インターネットのフィルターをなしで自分のレンズでのぞいてみたくなったの
数年前に一人旅したのきっかけだね
完全に世界観が変わったよ
視野が一気に広がって、できないことは何もないと考えるようになる
行けないところはどこもないとも考えるようになった
タイ一人旅の書きかけがあるから何とかまとめたい
やはり会社を辞める最終的な理由は脳出血したおばあの死を考えたときに、家族のわだかまりを優先して家を出ることなく高校時代に悪いことをした恩返しでお金でしか援助できなかった自分を問い詰めた
スティーブ・ジョブズのスピーチを数千回以上聞いて洗脳されていることもあり、明日が最後の日だったらほんとに何をやりたいんだろう?
脳出血になったおばあがきっかけで一気に覚醒しました
英語学習したいしおばあにもあいたいし、行き先にもあてもなく世界一周したい
日本国内だってキャンピングカーで一周したい
北海道も走りまわりたいし、沖縄の離島も巡りたい
海外風俗もいろいろ見たいしね
そう思ったら気楽で簡単でした
本当は親なんか無視したほうが早いんだけど、会社を辞めるのことに関してはあっさり説得しました
親ぐらい簡単に説得できないようでは、自分のやりたい事への自身がないんだよ
こんな感じで会社を辞めることになりました
介護はきっかけであって理由ではなく、やはり最大の理由は自分がやりたいことをやっていないことでした
今の職業は最高です
もう会社員に戻れません
介護施設のおばあもだいぶ回復してきて、毎日会うことで距離感も縮まりました
それ以外の時間を全部自分のやりたいことに投入できるから、会社を辞めてよかったのが素直な感想です
実は会社辞めるということもそんなに重んじた行動ではなくて、吉野家に牛丼食いにくらいの感覚で試してみればいいと考えます
会社辞めて金がなくなればまた働けばいいし、嫌だったらまた辞めればいいし、行動つまり試す=トライの繰り返しの先に新しい自分が待っているんです
人と違うということは決して間違いじゃない
人と同じことは正解ではない
お金なんか所詮物々交換のバーチャルマネーでしかないから、お金のために仕事をしているならやめましょう
お店屋さんごっこのお金を増やしたって何も面白くないよ
英語
ここが一番苦戦してますね
自分が納得できる場所へ英語で自分をたどりつけたら学習経過ををキンドルで書こうと考えています
英語が直感的に必要と感じたのはタイの一人旅ですね
もともと関係代名詞なんか全くわからなくてHaveは持つしか知らなかったしし実際に英語学習始めたのは中学校1年から始めました
This is penから本当にスタートしています
直感的に音声が大事と考えていて、音声だけは強制的に自分の中に突っ込む環境にしました
英語圏に旅することで音声と文字は別物だと痛感できました
今の自分くらいの英語の理解力でも興味ある海外の記事は何とか読もうとするし、情報の早さは絶対英語圏と考えています
脱獄情報でも英語圏から調べたほうが早いのは明確ですね
最終的には英語でブログ書いても面白いと考えていたり
英語人口の方が多いんだから英語で発信したほうが、生産高が上がると考えるのは必然ではないか?
実際にブログの中に英語日記を書いていましたが、ブログのアクセスを調べるとUSからの数字が結構あります
もちろん英語学習が目的になってはいけないから、外国人のコミュニケーションをとる手段と捉えています
誤算は実際にゼロから始めたけど、2年ぐらいでたどり着けると思っていました
英語やっつけてからスペイン語やってプログラミングって考えていたけど、ほんと英語でかなり苦戦しています
興味のある海外ニュースが毎日楽しいということで、ワクワク感が止まらない嬉しい状態に自分を落とし込めました
勉強の学びは強制的に面白くないテキストを繰り返すのではなく、自分の興味を学習に関連付けて、自分を夢中にさせるシステムを作り上げるのが一番早いと考えます
例で言えば
海外の興味あるニュースに音楽に自分の趣味を学習したい分野に変換させる
自分の場合は興味のある分野すべてを強制的に英語に変換しました
教材と違って興味があるから面白くて飽きないし、毎日更新されるニュースなら常に出会う瞬間が最新版
自分を鳥の目のように遠くから眺めて、自分自身が実験台のモルモットと考えて改造しています
何事も繰り返せば覚えるのは明白だから改善しながら続けていきます
とまぁこんな感じで現在に至る僕です
やっぱり法律に触れた瞬間や性のことはGoogleに目つけられるから、なかなか書き難いけど何かあれば答えますよ
以上自己紹介でした
これからもよろしくお願い致します